相模大山の絵はがき 上粕屋・山王原

公開日 2012年10月04日

上粕屋・山王原

 

関東一円とその周辺からの大山参詣の人々は、秦野市蓑毛から大山へ至る人を除き、伊勢原市内の大山山麓へと道をたどりました。伊勢原市上粕屋・山王原は矢倉沢往還、柏尾通り大山道、田村通り大山道や秦野・平塚方面からの道が合流する地点です。

明治時代になると明治20年に東海道線平塚駅が開業し、大山参詣道は大きく変わりました。さらに昭和2年に伊勢原駅が開業して、徒歩による大山参詣は姿を消していきました。

ここ山王原は三角形の大山を目にする最後の平地となります。

絵はがき1相模大山名勝 大山街道より見たる大山容姿

1 〔相模大山名勝〕大山街道より見たる大山容姿

中央に大山。右手には大山道。この道は明治期に改修された新道で、左手奥に「御迎い松」といわれる松の大木が見えますが、この木の横を大山道の旧道が通っていました。松に向かって左手前に現在山王中学校があります。

山王原といわれるこのあたりには、戦前までは各所に古墳があり、大きな松が茂っていたと聞いています。

 

 

 

絵はがき2相州大山

2 相州大山

大山道をバスが走ります。平塚~伊勢原~大山間のバスは、大山の夏山の時期に臨時に運行したものが最初で、大正6(1916)年のことでした。この数年後伊勢原自動車となり、同時期に設立された三益自動車と後に合併して伊勢原自動車株式会社が誕生しました。

昭和19(1944)年には東海道乗合自動車株式会社と伊勢原自動車などが合併して、神奈川中央乗合自動車株式会社となりました。

 

 

 

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3 (相模大山) 伊勢原ヨリ大山ヲ望ム

写真から受ける印象では1よりも新しい時期の絵葉書といえます。中央に自転車に乗った人物。大正末から昭和初期には自転車が普及し始め、参詣や雨乞い用の水もらい、節分の豆撒きなどに県内はもとより、世田谷区あたりからでも自転車が利用されるようになりました。

この写真を使用した別の絵はがきには、「伊勢原表参道」というキャプションが付いています。

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