公開日 2015年04月13日 時忠は渡守となり、我が子の行方を捜す場面 まずは東国に心の赴くまま旅を続け、陸奥国と坂東の境の阿武隈川に至り、そこで旅人から我が子の情報を得るための手立てとして、川の渡守となりました。往来の人々に尋ねても知る人もなく、多くの年月を費しましたが、何の成果も得られぬまま、渡守はやめることにしました。 前へ 第1段 第2段 第3段 第4段 第5段 第6段 第7段 第8段 第9段 第10段 第11段 次へ