西富岡・長竹遺跡(令和3年度調査)

公開日 2022年02月15日

7.西富岡・長竹遺跡

1 遺跡の概要

  • 所在地
    伊勢原市西富岡字長竹1044外
  • 調査原因
    一般国道246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う発掘調査
  • 調査期間
    令和3年8月1日~調査中
  • 主な時代
    旧石器・縄文・奈良・平安・中世・近世
  • 遺跡立地
    渋田川とその支流に挟まれたやせ尾根状台地
  • 調査組織
    公益財団法人かながわ考古学財団

一般国道246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う発掘調査としては「西富岡・長竹遺跡」は初めての調査ですが、過去6回の調査が実施されている遺跡です。特に、本調査区の南に隣接する第2・3次調査においては、6時期にわたる文化層が確認されるなど旧石器の調査で大きな成果があがっています。
 今回の調査で確認された遺構は、近世では調査区の南北を段切りがはしり、段切りを挟んだ上段と下段で耕作痕跡がみつかっています。特に、下段でみつかった耕作痕跡は、宝永火山灰を畠の土と混ぜ込ませている状態の畠の跡がみつかっています。本遺跡の南東に位置する上粕屋・和田内下遺跡からも同様な畠の痕跡がみつかったことから、周辺一帯は同様な景観がひろがっていたと考えられます。
 中世の遺構は、円形土坑、堀、集石墓がみつかっています。調査区北寄りに、長さ約25メートル、幅4.5メートル、深さは約150センチメートルをはかる堀状の遺構が確認されています。断面形はV字状を呈していて、部分的に中心が細くなっています。第1・5次調査でも確認されている堀で、確認できている全長をみると約50メートルを測ります。堀は北西へさらに続いていますので、次年度の調査で堀がどういった用途で掘られたものなのか、わかるかもしれません。調査区の南側からは、常滑の壺と周辺から石がまとまってみつかっています。常滑の壺は口縁から底部まで完形に残っているもので、口縁の形状から6a型式(13世紀半ば頃)と考えられます。壺の周りからは、骨片や炭化物、焼土粒がみられることから、集石墓の可能性が高いと考えられます。
 本遺跡の西側には糟屋氏が檀越として想定されている極楽寺推定地があります。極楽寺の周辺にも集石墓がみられることから、極楽寺周辺が墓域であったことが想定されます。

2 調査地点

位置図

3 調査の写真

写真1 近世 耕作痕跡(北西から)
耕作痕跡(近世)
写真2 近世段切り遺構(北から)
段切り遺構(近世)
写真3 近世面 全景(南東から)
近世面 全景
写真4 中世 C1号堀(西から)
C1号堀(中世)
写真5 中世 C1号堀全体(西から)
C1号堀全体(中世)
写真6 中世 集石墓 常滑甕
集石墓 常滑甕(中世)
写真7 中世 集石墓(西から)
集石墓(中世)
写真8 作業風景(南から)
作業風景
 

 

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