伊勢原市とは

 神奈川県のほぼ中央に位置する伊勢原市は、南部を平塚市、西部を秦野市、北東部を厚木市と接し、東西間に東名高速道路、新東名高速道路、国道246号、小田急線が走っています。東京からは東名高速・新東名高速で45分、電車で新宿から60分、距離にして東京から約50キロメートル、横浜から約45キロメートルの位置にあり、都心からのアクセスも良好です。

 総面積55.56平方キロメートルのうち山林原野が約1/3を占め、北西にそびえる標高1252mの大山を頂点に、南東へ向かって高度を下げ、丘陵地や台地、平野へと続きます。東部には豊かな平野部が広がり、鈴川、善波川、日向川、歌川といった清流が大地を潤しています。

 伊勢原市は、温暖で水に恵まれた立地で、約3万年以上前の後期旧石器時代の地層から石器が発見されていることから、当時すでに人が住み、暮らしていたようです。大山を望む丘陵上には大規模な縄文集落が営まれ、大山山頂から縄文土器が出土することから、すでに大山への信仰が芽生えていたと考えられます。大山の麓ではいくつもの古墳が見つかっており、大刀や馬具など豊富な副葬品が確認されています。神奈川県内で、大刀や馬具、装飾品がこれほど集中している地域はほかにないため、その当時、相模地域を治める最高権力者にとって、この地が神聖で重要な地域であったことがわかります。

 6世紀半ばに日本に仏教が伝わると、奈良時代の初め頃、この地にも日向山霊山寺(日向薬師)や大山寺が創建されました。また、遅くとも平安時代には三之宮比々多神社、大山阿夫利神社、高部屋神社が成立していたと考えられます。鎌倉幕府を開いた源頼朝は大山寺に田畑を寄進し、霊山寺にも参詣しています。その妻・北条政子も、夫の死後2度に渡って霊山寺にお参りしています。市内には、室町時代に江戸城を築城したことで知られる太田道灌の墓所があり、毎年10月には太田道灌を偲びつつ、市内の観光振興の増進を目的とした伊勢原観光道灌まつりが開催されます。

 江戸時代には手形の不要な小旅行として「大山詣り」が大流行し、江戸の人口が約100万人だった当時、年間20万人もの人々が訪れたと言われる一大観光地でした。源頼朝が武運長久を祈願して自分の刀を大山寺に奉納したとされることから、「大山詣り」では巨大な木太刀を担いで参拝する「納め太刀」が行われました。その様子は、歌舞伎、落語等にも取り上げられ、大山は関東一円からの多くの参詣者でにぎわいました。そして、平成28年4月には、巨大な木太刀を江戸から担いで運び、山頂を目指す「大山詣り」のストーリーが日本遺産に認定されました。
神奈川県伊勢原市 日本遺産「大山詣り」について

 昭和以降、首都圏近郊のベッドタウンとして人口が増え、1971年に市制施行により伊勢原市が誕生しました。温暖な気候により、畜産やぶどう・梨・柿・みかん・いちごなど果樹栽培が盛んに行われており、県内有数の「フルーツの里」として知られています。また、大田・成瀬エリアの芝桜や高部屋エリアの彼岸花は、「かながわ花の名所100選」に選ばれており、その他にも桜や紫陽花など、季節によって様々な花を楽しむことができます。
 ふるさと納税の返礼品としても人気の伊勢原市産の野菜や果物、肉、卵などの農畜産物を「伊勢原うまいものセレクト」として認定し、産業の活性化やまちのPRを行っています。
伊勢原市観光協会 伊勢原うまいものセレクトについて

 より詳しい歴史については、いせはら文化財サイト「いせはらの歴史」をご覧ください。

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